秩父郡の小鹿野町(おがのまち)に生まれ育ち、横浜市で英語教諭をしていた染谷かおりさん(写真:左)は、2020年に地元へUターンし、英語や料理が学べる教室を開業しました。地方での起業や、自宅兼教室のための物件探し、さらにはそのリノベーションなど、移住プロセスのなかで”やるべきこと”は数多くあったそうです。今回はそんな染谷かおりさんと、夫の染谷陽介さん(写真:右)のお二人に、移住にあたって気を付けたいことや今後の展望について、お話をうかがいました。
Uターンのきっかけは「家族のことが気になって」
もともと小鹿野町にUターンをする予定だったのでしょうか?
(かおりさん 以下:か)埼北よみうり新聞社で5年ほど働いて、その後は教員採用試験を受けて、しばらくは横浜市の中学校で英語の教師をしていましたが、実は小鹿野に戻ってくる展望があったわけではないんです。
あるとき、実家にいた家族がちょっと体調を崩してしまって。周囲からは「大丈夫」と言われていたんですが、私自身がどうしても気になるので戻ることにしたんです。「この先、地元でやれることもあるだろう」という思いもありましたし。私と3人の子どもたちとで小鹿野町のアパートに引っ越してきて、夫はそのときはまだ山梨に拠点があり…しばらく通いだったんだよね?
(陽介さん 以下:陽)そうですね。私はこっちで仕事が見つからなかったこともあって、しばらくは単身赴任みたいな感じでした。
(か)小鹿野に戻ってきた私は「自分に何ができるだろうか」をよく考えて、教員だった経験を生かして「教室をやってみよう」と思ったんです。テーマは、英語と、料理と、アウトドアの教室。

ということで、まずは秩父地場産センターの”埼玉県よろず支援拠点”に相談に行ってみました。そこで小鹿野町にある西秩父商工会の方を紹介してもらい、起業支援金の申請方法などの具体的な話をすぐにしてもらえて、「やってみよう」という気持ちが一気に固まったんです。
よろず支援拠点ではご担当の方にずっと伴走していただきましたし、西秩父商工会は小鹿野の諸先輩方と上手につなげてくださるので、本当にありがたかったです。
地方での起業は、サポートが比較的手厚い印象がありますよね。一方で、心理的なハードルはありましたか?
(か)自営業なので「やめたくなったらやめてしまおう」くらいの、軽い気持ちでスタートしました。教員を経験していたこともあって、「いざとなったら戻ろう」という選択肢を持てていたのも大きかったと思います。
初めての自営業、初めての子育てによるプレッシャーも孤独もありました。でも同じ悩みを抱えるママ友さんたちがいつもそばにいてくれるので、何度も励まされながらここまで続けてくることができました。ママ友さんですから、皆さん年齢もまちまちですけれど、肩を抱き合って涙を流すこともあったりして。大人になって、「もう友達はできないだろう」と思っていたので、その存在が本当に今でも心の支えです。
教室は個人事業で、それとは別に、2023年に「一般社団法人こどもの居場所」を設立されていますね。
(か)立ち上げたのは「子どもたちが小鹿野町に残っていくためには、自分自身もその道筋をたてて残る計画をしていかなければ」という想いがあったからです。社名を決めるときも色々考えましたけど、こども時代の経験がその子の将来を決める、すなわち小鹿野の未来をつくることにつながると考えました。複数の限界集落が存在する小鹿野町ですが、それでも私たちを育ててくれた大切な故郷です。そうして子供時代を小鹿野で過ごした自分も、満足させてあげたい。
もちろん、現実的にはすごく大変です。税金の支払いもあるし、自営業の方の仕事もうまくいかなければ全体が回らない。だからこそ、今後どう展開していくかは常に考えています。自分が生きていくことが、イコール仕事です。どう地域に残りながら仕事をつくり出していけるか。今はまさに、信頼と実績を一つずつ積み重ねているところです。
空き物件をリノベーションして、自宅兼教室に

教室を開くための物件はすぐに見つかりましたか?
(か)アパートに住みながら地元の方に相談していたんですけど、ちょうど道の駅から目の前の場所を運よく借りることができました。自宅兼教室として使えるようにするのが理想だったので、もともとは商店だったというその建物が住宅部分とつながっている形ということもあり、リノベーションして教室にすることにしたんです。
(陽)もともと空き家として貸し出している物件ではなかったんです。そこで、「子どもたちを預かりながら、お教室のようなことをやりたいんですけど、いいですか?」と大家さんに相談したところ、ご理解いただいて。地域の皆さんのご協力も得ながら、借りることができました。
リノベーションは大変でしたか?
(か)大変でした!(笑)。「もっとこうしとけば良かった」とか未だに考えますし。
我が家は道路から一段下がったところに建っているんですが、商店側の玄関は砂利道を通って入るような造りだったので、そこにウッドデッキを作らせてもらいました。店内も少し改装させていただき、仕切りを一つ増やし、キッチンスペースと子どもたちの畳スペースを分けてもらいました。キッチンスペースは、パンをこねるのにちょうど良い高さの作業台をあつらえてもらいましたし、教室側は子どもたちが靴を脱いでジャンプしたり、踊ったりしながら英語を学べる、そんな楽しい空間になっています。

(か)住居部分のキッチンも、もともとは”トトロのサツキちゃん家”みたいに、土間に降りて靴を履き替えてガスコンロに行くような造りでした。そこをフラットにしてもらって、調理台の高さも「低すぎて腰が痛くならないように」と大工さんにセッティングしてもらったので、使いやすくなりました。
物件の改修にあたって、何か補助金などは申請されたんでしょうか?
(か)私たちは、実は空き家を買ったのではなく賃貸しているので、持ち家を改修するという内容の補助金はもらっていません。代わりに移住者向けの補助金と、起業支援金、加えて当時はパンデミック中だったので西秩父商工会からもコロナ禍の特別な補助金(小規模事業者持続化補助金(一般型・事業再開枠))をいただき、家計的にはかなり助けられました。
「賃貸リノベーション」されたということなんですね。
(陽)そうなんです。だから基本は、原状復帰。真ん中に作った仕切りもウッドデッキも、退去時には撤去しなきゃいけない。立ち退くときに次の入居者が決まっていて、もしその方が必要だと言ってくだされば助かりますけどね。
でも子どもたちの小さかった時期に、こうしてこの家を使わせてもらえたのは本当にありがたかったです。
近所の方との交流はありましたか?
(か)最近「良かったなあ」と思ったのは、直売所、道の駅の温泉、地域商社が目の前にあることで、地域の方たちとの関わりを自然に持てていることです。「ちょっとハロウィーンイベントやりたいんですけど」って相談させてもらったら、皆さんが「いいですよ」と快く協力してくださって。それからは毎年「今年もやるんでしょ?」と声をかけてくださるようになりました。
仮装したこどもたちが「トリック・オア・トリート!」と言うと、私がこっそりお預けしておいたお菓子を一人一人に渡していただけるんです。こどもたちにも毎年楽しみなイベントですので、一緒に盛り上げていただいて、とてもありがたいです。地域の方々も笑顔で迎えてくださって、本当にいい時間になっています。

英語教育から、コミュニケーション能力を育んでいきたい
教室のお客さんは小鹿野町内の方が中心ですか?
(か)今はそうですね。以前住んでいた山梨時代から、ずっと受講してくれている受講生さんもいます。彼は山梨では対面での生徒さんでしたが、現在は同学年の小鹿野の受講生と肩をならべてオンライン受講してくれています。彼のようなファンを思うと、もう少し輪を広げていけそうな予感もあります。
もともと英語教員をしていた立場から思うのは、”教科書英語”だけをやっていても、英語でのコミュニケーション能力は身につかないということです。なので、私の教室ではフォニックス(英語の文字と音をつなげるルール)にも重きを置いて、ルールをもとに文字が読める=書ける=使える=英文で表現できる方法をお伝えしており、自発的に自然な英語が話せるような学びを大切にしています。
文法の正誤ももちろん大切ですが、それ以上に大切なのはコミュニケーション能力。英語はあくまで”手段”であって、本質は「自分の考えを伝え、相手と関わる力」です。教室に通う子どもたちの間で、その力が少しずつ育っていくのを感じています。「15歳で世界の同世代と共通の話題で話せる子」に育つことを目標にしていますが…卒業生のみんなは、どんな大人になっていくのかな。楽しみですね。

(陽)将来、町外に出たときに「小鹿野町は本当に素敵なところなんだよ」と伝えて、パートナーを連れて戻ってきてくれる。そんな風になれば理想的ですね。
(か)結論、パートナー選びがすごい大事だったと思っています。
いい締めですね…
(か)夫も自分でよく言ってきます(笑)。
結婚相手を探しているときにすごく思っていたのは「アウトドアが好きな人がいいな」ということです。私はおばあちゃん子だったこともあって、地元への愛着も強く、盆地の山奥にある小鹿野町のことを「こんなところで育ったのかよ」って言うような相手はありえないと思っていました。
当時はまだ小鹿野に戻ってきていなかったですけど、どこかで「自分の故郷を好きでいてくれる人じゃないと、自分のことも好きでい続けてくれないんじゃないか」って思って。だから、「アウトドアが好きな人なら、小鹿野の自然も好きになってくれるんじゃないか」と感じていました。

そんな奥様の地元へ”嫁ターン”をされた染谷さんにお聞きします。移住してきて小鹿野町に馴染んでいくには、どんなマインドでいればいいでしょうか?
(陽)私は、パートナーの育った環境を知りたい、という思いから小鹿野町に興味を持ちました。そこから次第に「自分にできることはなんだろう」と考えるようになり、仕事とは別に、この町が元気になるお手伝いができたらいいなという想いも芽生えてきました。「どうすればこの町で楽しく暮らせるだろう」「誰と、何をすれば心地よく過ごせるだろう」と、日々考えながら過ごしています。そんな気持ちがあるからこそ、今も小鹿野町で楽しく暮らせているのだと思います。
足りないものを探せばきりがないですけど、暮らしていく軸を”好き”に持ってくる。私は妻きっかけで小鹿野町を知って、でも、もともと自然の多い場所が好きだったこともあり、朝起きて窓を開けたら”山”みたいな、それだけで最高です。なので、自分なりの”好き”を小鹿野町で見つけることができれば、きっと楽しい小鹿野ライフを送ることができるんじゃないでしょうか。
秩父郡小鹿野町(おがのまち)では、移住を検討されている方向けに、実際の生活を体験できる「おためし移住住宅」を提供しています。
リアルな暮らしを体験いただけるよう、町民とのコミュニケーションや農作業体験、鳥獣害対策見学などのアクティビティも選択できるコーディネーター伴走型、2泊~最長9泊が可能で、利用料は無料(2025年11月現在)です。移住のご検討にあたっての情報収集として、ぜひお気軽にご利用ください。
【参考リンク】
埼玉県よろず支援拠点
https://www.city.chichibu.lg.jp/9621.html

