小鹿野の自然とともに、生きる力を育てる学童へ

新原学童クラブの施設長・高橋正枝さんは、両神学童や長若学童でも勤務経験があり、20年以上小鹿野町の子どもたちを見守ってきたベテランだ。今回は、千葉県からの移住者であり、息子をこの学童クラブに通わせている松田が彼女の大切にしてきた想いについてお話を伺いました。

高橋正枝さん

学童は、勉強をさせる場所じゃないんです


松田: いつも息子がお世話になっております。新原学童は、いつも子どもたちが元気でのびのび……いや、のびのびどころじゃなく、本当に活発で子どもらしい明るいエネルギーが溢れている場だと感じています。だいたい迎えに行くと、自分の子どもではない子も走ってきて声をかけたりしてくれて、そういうのも嬉しいなと思います。

高橋さん: そうですね。この学童(ひまわり福祉会)の特徴は、“学校の延長”じゃないということだと思います。私が以前勤めていた両神の学童は公立で、時間割がしっかり決まっていました。「この時間は宿題、次はおやつ」って、全部が一斉行動。決まった枠の中で動くんです。でも私は、子どもたちにもっと“自分で選ぶ”ことを経験してほしいと思ってきました。この学童では、『今日はこれがしたい』『外で遊びたい』『畑に行きたい』という子どもたちの声に、できるだけ応えています。学童って、基本的に勉強をさせる場じゃないんです。もちろん学習支援もしますが。でも、それ以上に私たちが大切にしているのは“生きていく力”です。

たとえば、自然の中で何かを見つけて、これをどう使うか考えてみる。誰かと衝突したときに、自分で気持ちを整理して、どう関係を立て直すか。そういった“その場で考えて動く力”は、決められた時間割の中ではなかなか育たないんです。

松田: 実社会に出た時は、その環境の方が近いですよね。

高橋さん: 他の地域の学童では、外遊びの時間も“何時から何時”と決められていて、一斉に出て、一斉に戻る。そうした学童に通う保護者の方からは、『すべて決められていて窮屈だった』と聞いたことがあります。確かに、そういうスタイルの方が学習面では効率がいいのかもしれません。予習も復習もできる。でも、ここは山奥ですよ。こんなに自然があるんです。それを活かさないなんて、もったいないじゃないですか。自然の中にいると、子どもたちの個性が自然に表に出てきます。“これやってみたい”“こんなこと思いついた”って、どんどん言葉や行動になっていく。それを受け止めて、一緒に動いていく。そうすると、子どもたちは自分で考えるようになるし、自分の“好き”や“得意”にも気づいていきます。私は、“子どもの個性が生かせる場所”の方がしっくりくるんです。

松田: それぞれの違いを大事にできる学童が、今の時代には特に必要な気がします。

低学年に人気のある一輪車

チャレンジも喧嘩も、子どもたちの日常

松田: 学童の生活の中で、何か印象に残っているエピソードはありますか?

高橋さん: 色々ありますよ!印象的だったのは、伊豆沢の川に行ったときのことですね。バスで交代で通ってたんですが、石の上から思いきりジャンプしたりして、子どもたちはもう夢中で遊んでました。ある日、釣り道具を持ってきた子がいて、みんなで魚釣りを始めたんです。それだけでも楽しそうだったんですが、途中で釣れた魚を見て『これ、食べられるのかな?』って興味津々で見つめている子もいたりして(笑)。小さな魚でしたけどね。こんな自然との触れ合いは、子どもたちにとっては忘れられない体験になると思います。

あと喧嘩は、ほんとうによくあります(笑)。特に低学年の子たちは物の取り合いで、しょっちゅう揉めてますね。ブレボー※や一輪車の順番なんかは典型的で、一年生の間では一輪車が大人気。同じメンバーで、毎日のように取り合いになります。大きい子が『マサちゃん、また喧嘩してるよ。どうしたらいい?』って呼びにきてくれることもあります。『じゃあ、二人で交代して使ったら?』って提案するんですけど、どっちも譲らないんですよ(笑)。“時間を決めて交代にする”とか、“2回ずつで交代”とか、具体的に方法を出しても、なかなか納得しない。
※2つの車輪がついたスケートボードの一種で、左右の足をひねることで前に進むことができる乗り物

でもね、そういうぶつかり合いの中にも、ちゃんと“学び”があるんです。ただ喧嘩をしてるわけじゃないんですよ。奥には、“誰が一番うまく乗れるか”っていう、真剣な競い合いの気持ちがある。四人くらいでずっと切磋琢磨していて、悔しくて泣くこともあるけれど、それでもまたチャレンジするんです。そうやって、子どもたちは人との関わり方や、自分の気持ちの折り合いのつけ方を、身体ごと経験していくんです。喧嘩があるからこそ、伸びていく。私はそう思っています。

松田: そのように、少し引いて見守るような姿勢は、なかなか距離の近すぎる親にはできません。とてもありがたいことだと思います。

敷地内で育てているトマト

子どもが「できた」と笑顔になる瞬間が、何よりの喜び

松田: 仕事の中で喜びを感じるのはどんな時ですか?

高橋さん: 私はもともと幼稚園の先生をしていたんです。でもしばらくブランクがあって、そのあと山奥に暮らすようになって。自分の子育ても一段落してから、“今度は子どもを育てるお手伝いがしたい”という気持ちで学童の現場に戻りました。だからやっぱりいちばんうれしいのは、子どもが“できなかったことができるようになる”瞬間を見たときです。あとは、泣いていた子がふっと笑顔になる。そうした変化に立ち会えるとき、本当にこの仕事をしていてよかったなと思います。
学童は小学校が終わってから来る場所なので、1日中子どもといるわけじゃない。放課後の限られた時間だからこそ、短い時間でいかに信頼関係を築けるかが大事です。私はその中で子どもたちの“気持ちの変化”を見逃さないようにしています。

1・2年生はまだ素直で、大人の言うことをよく聞きます。でも、3年生くらいから『後でやる』『ちょっと待って』って言うようになって、自分の意思が出てくるんですよね。5年生にもなると、考え方がかなり大人に近づく。“この前こう言ったよね”なんて、大人の発言をちゃんと覚えていたりして、いい加減なことは言えません(笑)。子どもの本音って、ただ話をしているだけでは見えてこないんです。一緒に遊んだり、何気なく仲間に加わったりしながら、少しずつ出てくるもの。だからこそ、その小さな変化やつぶやきを見逃さずに受け止めてあげたいんです。

松田: だからなのか、子どもたちは高橋さんのことも「先生」ではなく「マサちゃん」と友達のように読んでいますよね(笑)最初は驚いたけど、それも対等に一人一人の「人」として付き合っている証拠なのかもしれませんね。

高橋さん: そうですね。ここでは、子どもたちが“やってみたい”と思ったことに、ちゃんと向き合えるんです。誰かと比べられることもなく、自分のペースで、納得するまで取り組める。うまくいかなかったらやり直せばいいし、違う方法を探せばいい。そうやって、自分で考えて、自分なりに前に進んでいく。それが私にとっての、一番しっくり来る学童の形ですね。

松田: ありがとうございます。こんな先生がいらっしゃる学童に通わせられることは親としてとても幸せです。引き続きよろしくお願いします!

みんなで取り付けたというバスケットゴール

ここで育つ力は、一生ものになる

編集後記)
都会に住んでいた頃、私は無意識のうちに“子どもに我慢させる環境”をたくさん作ってきてしまったように思います。周りに迷惑をかけないように、静かに、きちんと、いい子でいてほしい。公園では他の子と喧嘩しないように、習いごとの時間に間に合うよう急かして、“今日はやめたい”と言い出しても、「頑張って行こう」と声をかけてしまう――。
でも、小鹿野に移住してきてからは環境がガラリと変わりました。平日の習い事はやめて、放課後は新原学童で心ゆくまで遊んで、髪の毛まで汗びっしょりになって帰ってくる息子。その姿を見ていると、ああ、うちの子って、本当はこう言うのが必要だったんだな、と実感させられます。

高橋さんのお話を聞いて、それがただの“自由”とも違うことがわかりました。ここには、「自分の気持ちを大切にしていいよ」と、子どもたちの心に寄り添う高橋さんたちのまなざしがある。失敗しても、ぶつかっても、泣いてもいい。その先で、自分で考え、動いていく力が育っていく。こんなふうに子どもを見守ってくれる場所があること。それが、今の時代にどれほど尊いものか、この時間は、きっと一生ものの財産なるのではないか。今日のお話を伺って、改めてじんわりと思っています。

こんな場所が、もっとたくさんの子どもたちにとって“あたりまえ”になっていったら――きっと、世界は少しだけ優しくなるんじゃないか。そんなことを、この小鹿野町の小さな学童でお話を聞いて、考えさせられました。

撮影・執筆 松田遼

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