『来てくれてよかった』と言われる仕事。小鹿野の訪問マッサージ師・鎌田さんに聞く

2024年末、千葉県から地域おこし協力隊として家族で小鹿野町に移住してきた松田です。暮らしに少しずつ慣れてきた今、ふと「あの人に会いたいな」と思う瞬間があります。鎌田昌子さんは、私にとってそんな存在のひとりです。確かなマッサージの施術の腕前はもちろん、ただ会って話すだけで、なぜか元気が湧いてくる。会話のはしばしに、誰かを思うあたたかさがこぼれます。今回は、そんな地元・小鹿野町出身である鎌田さんに——仕事のこと、地元のこと、そして人生について、じっくりとお話を伺いました。

小さな町の家を一軒ずつ、そっとノックして

松田: 改めて今、小鹿野町でされているお仕事について教えてください。

鎌田さん: 高齢の方や障害のある方のお宅に伺って、マッサージをしています。自宅の一室が施術室になっていて、お越しいただく方もいらっしゃいます。 医師の指示のもと、保険で施術を受けられる方も多いです。 身体を整えるのはもちろんですが、その方の暮らしや気持ちに寄り添うような仕事でもあると思っています。独り暮らしの方のお宅に伺うと、私が行くこと自体が安否確認になることもあります。「今日も来てくれてよかった」って言ってくれたり、 ご家族が少し笑顔になったり。 そういう瞬間に、この仕事を選んでよかったなと思います。

ご自宅の施術室

月〜金はマッサージの本業に集中していますが、土日は地域のことやイベント(ボランティア)でスパッと切り替えて活動しています。そのリズムが、自分にとっても心地よくて、いいストレス解消にもなっています。小鹿野での暮らしが、今の私にはとても合っていると感じています。忙しいけれど、本当に充実していて楽しいです。

地域の人と共に活動する鎌田さん(後列右)

「なんで大人は、あんなに楽しそうなんだろう」

松田: 小鹿野で育った子ども時代のこと、どんな記憶がありますか?

鎌田さん: 私の生まれは、伊豆沢の風殿(ふっと)という地区です。道普請(みちぶしん・地域住民による草刈りなどの作業)とか、風殿稲荷様の祭典、お日待ちなど、地域の行事がすごく多かった。行事の際には、女の人達が煮しめやお稲荷さん、うどんなどを作り、大人達がそれを食べながら宴会をしていて、とても賑やかでした。子どもの私から見たら、いつも大人たちは楽しそう、気分よくお酒飲んでカラオケして、「なんで大人ばっかりいい思いしてるの?」って思ってました(笑)

私の中ですごく印象に残っていることがあります。元旦に行う地区の新年会に私はよく両親についていったのですが、新年の挨拶から始まり、その後宴会が始まりしばらくたった時、急に長老の方が 2 人、大喧嘩を始めたんです。低学年の私にはなんだかすごく怖かったですね。でも数ヶ月後、その人たちは、何事もなかったように一緒に草刈りをしながら笑っていたんです。今でもあの光景を思い出すと、なんだか説明のつかない気持ちになります(笑)

ぶつかっても、忘れたふりをしてまた集まる。それとも本当に忘れているのか。それってちゃんと仲直りしたって言えるのか?よくわからないけど(笑)

松田: 確かに大人の喧嘩は迫力がありそうだし、想像するだけで怖いですね。でもその2人が別の日に笑っていたら「え!?」と思うのも無理はありません。

「何もない」と思ったから、町を出た

松田: 地元を出たのは、やっぱりその空気が息苦しかったから?

鎌田さん: そうですね。ずっと同じ人たちと暮らしていて、その上当時の自分には、特別仲が良い子もいなかったんですよね。 何をしてもすぐに噂されるし、「何にもない町だな」って思ってました。大学では憧れていた横浜に行って、一人暮らしをして、やっと解放された気がしました。その後はダンスに夢中になった時期もあれば、仕事や恋愛に悩んだこともありました。いろいろなことがあったけれど、自分なりに動いて、選んで、前に進んできた——そんな日々の中で出会ったのが、マッサージの道です。

朝はベンチャー企業で働き、夜はマッサージの専門学校へ。身体は正直きつかったけれど、不思議と気持ちは前向きでした。マッサージの勉強が楽しかったのはもちろんだけど、あの頃は、毎日そのものが楽しかった気がします。若さもありますが、それだけではありません。自分で選び、自分で決めて動いているという実感が、日々を支えてくれていたように思います。そんな日々の中で感じた「これだ」という手応えが、いまの仕事の確かな土台になっています。

その後は都内でマッサージ師として勤務しましたが、いつかは開業したいという思いがありました。その想いを形にするために、秩父へ戻る決断をしました。

震災で揺らいだとき、見えたこと

松田: 秩父に戻って、すぐ今の仕事スタイルになったんですか?

鎌田さん: 最初は実費の整体をしてました。 でも、2011年の東日本大震災が起きて、お客さんのキャンセルが相次いでしまいました。この仕事って、“癒し”だから、何かあったとき一番後回しにされてしまうんです。 でも、逆にそのとき考えたんです。 「じゃあ、必要な人に、必要な形で届けるにはどうしたらいいか」って。それが保険診療を取り入れるきっかけでした。 そこから、少しずつ、暮らしに寄り添う仕事として形になっていったんです。

家族ごと、空気ごと、やさしくほぐす

鎌田さん: 親子って、近すぎて遠慮ができないんですよね。 言い合いになったり、ちょっとしたことで空気が重くなったり。特に高齢のご夫婦で外部の方との交流がないと、その重い空気をずっと引きずってしまうこともあります。でも、私が入ることで、少しだけ空気が変わることがあるんです。そういう意味では訪問マッサージって、身体に触れるだけじゃなくて、 その場に“いる”こと自体に意味があるんじゃないかと思っています。

松田: それ、すごくわかります。 私も、以前は自宅で自営業をしていて、夫婦二人で過ごす時間がとても多かったんです。 仕事で衝突してしまうとその空気を引きずったまま時間がすぎていくのは、今思えば結構大変でした。そんな時に誰かが来てくれると、空気が変わるんです。 家に来て、少し話してくれる誰かの存在って、本当にありがたいです。

鎌田さん: そうなんですよね。最近は、患者さんだけじゃなく、そのご家族にもご一緒に施術する機会も増えました。 介護する側にも、きっといろんな疲れがある。そんなとき、ふと悩みをこぼしてくれる人もいます。 特に何ができるわけではないけど、話を聞いてあげるだけでもスッキリすることってあるじゃないですか。だから、単に身体のマッサージだけでなく、まわりの雰囲気までも少し軽くなるような——そんなケアを心がけるようになりました。

鎌田昌子さん

共に生きる町で

松田: 小鹿野に対する気持ち、今はどう変わりましたか?

鎌田さん: 若いときは「二度と戻るもんか」と思ってましたけど(笑)、 今は、この町でなら、少しは役に立ててるのかなって思えてます。

訪問マッサージの仕事をする中で、特に高齢の一人暮らしの方も多くて、 施術だけじゃなく、「今日も元気かな」って顔を見に行くような感覚もあります。 身体のケアと同じくらい、会話や笑顔の時間も大切だなと感じるようになりました。

そして最近気づいたのは、40代、50代の人たちの“予防”の大切さ。 いま動ける人が、ずっと元気でいられるように。そういうサポートも、これからの自分のテーマかなと思っています。

移住を検討している人へのメッセージ

鎌田さん: 小鹿野には、おせっかいな人が多いです。でもそれって、裏を返せば「ちゃんと見てるよ」という優しさでもあるんですよね。最初は少しとっつきにくいかもしれないけれど、それも含めてこの町の人たちの不器用なあたたかさだと思っています。だからこそ、移住してきた人たちには、もっと気軽に聞いてきてほしいと思っています。

移住者だけの輪をつくるのではなく、地元の人と一緒に何かをやっていく。そんな関係が少しずつ広がっていったら嬉しいです。最初は小さな輪でも、熱意のある人が集まれば、きっと何かが動いていく。
地元にも「声をかければ力になってくれる人」はたくさんいます。でも、得体が知れないと不安に思うのも自然なこと。だからこそ、ふだんから同じ場にいて、一緒に動いて、関係を深めていくことが大切なんだと思います。

年配の方が、若い人に安心して任せられる空気も必要です。ただ「若い人がやってる」だけじゃなく、ちゃんとバトンが渡されていくような町になると良いと思います。お互いを信じて、楽しみながらつながっていくような。そんな未来が、小鹿野にはきっと似合うと思っています。

話すつもりじゃなかったのに

編集後記)
鎌田さんの仕事を「マッサージ」と呼ぶのは、なんだか足りない気がしてしまいます。もっと、別の言葉があるはず。でも、今の私にはまだ、それが見つかりません。

取材を通して感じたのは、笑顔の裏に秘められた熱意と真剣さです。 目の前の人にまっすぐに向き合う姿勢や、小鹿野の未来を思う気持ちに、心を動かされました。取材中、実は本題から逸れて自分の話もたくさんしてしまいました。 子育てのこと、家族のこと、仕事のこと、誰かと一緒に暮らすってどういうことなのか。「話すつもりじゃなかったのに」と思いながらも、鎌田さんと話していると、つい言葉がでてしまうことがあります。 頼れる先輩が近くにいてくれるというのは、こんなにも心強いことなのだと、改めて感じています。

きっと、訪問先でもそうなんだろうなと思いました。誰かが、ふと本音を言ってしまう。誰にも言えなかったことを、なんでもない顔で話してしまう。その空気をつくっているのは、技術だけじゃない。もっと、人としての在り方みたいなものなんだと思います。

正直、この町に住んでいても、「よかったな」と思える日ばかりではありません。無理している自分に、ちょっと疲れる日もあります。

でも、そういう全部も「それでいいのかな」と思えるような感覚もあります。それは、鎌田さんのような人がいるから。そして、この記事をここまで読んでくれた人がいるなら。これからも自分に何ができるか、考えて行動していきたいと思います。

執筆・撮影 松田遼

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